そんなことで儲けたかて仕様(しよ)おまへんで[井原芳徳]

 2007年、バウレビはなんと10周年の年です。
 だからといって何がやれんのか?やれんのか?と、PRIDEの定番フレーズのように尋ねられそうですが、似たフレーズで関西弁になるんですが「やってみなはれ みとくんなはれ」というのがあり最近気に入っています。

 これは山口瞳と開高健がそれぞれ前後編を分担してまとめた幻のサントリー社史「やってみなはれ、みとくんなはれ」(新潮文庫)の題名です。
 詳しくはうちの井田がブログで以前紹介したこともあるので、そちらをご覧下さい。

 山口瞳の本は以前からいくつか読んでましたが、僕もようやくこの本を手に入れ、ちょっと前ですが年末年始の取材移動中にちびちびと読んでいました。
 僕も井田も関西人。なので大阪ルーツのサントリーの草創期の「東京もんには負けへん」という突進力と、「やってみなはれ、みとくんなはれ」というフレーズの持つ心意気に共感する点で、妙に似通っています。

 サントリー創業者・鳥井信治郎の大阪商人ならではの「名を捨て実を取る」合理主義精神は徹底しています。ワイン・ウィスキーと洋酒で成功しハイカラなイメージだったサントリーですが、最前線となる東京支店は山奥の村役場のような木造二階屋で、重役室は雨漏りがするような部屋だったそうです。信治郎からして自家用車も別荘も持たず、禁酒禁煙・ゴルフも博打も嫌いな人でした。
 でも守銭奴というわけじゃなく、信心深く、どんなに経営が厳しくとも、神社へ寺への寄進や苦学生らへの慈善活動を怠りませんでした。
 かといってストイックというわけでもありません。退職社員によると、つき合っている女性は常に10人はいたとのこと。でも「いっぺんでも交渉のあった女(おなご)は、むこうが逃げてゆかへんかぎり、生涯、めんどう見はりましたわ」「女は優しゅうしたらなあかんというのが口癖だした」「女子社員の給料は、そらあ上等だしたわ」と明かします。

 「やってみなはれ」精神で新たな業種を次々と開拓していったサントリーは、今で言うところのベンチャー企業。でも近年荒稼ぎし、ニュースをにぎわした某IT系社長とかとは芯が違います。日本が敗戦した直後、焼け野原を買い占めて土地で儲けたらどうかと周囲から提案されますが、製造業で戦い続けた信治郎は「そんなことで儲けたかて仕様(しよ)おまへんで」と拒みます。
 山口瞳は「新しいものをつくりだし、それで人々を喜ばせ、それで金を儲けるのである。それが事業である。それ以外の金には意味がない」と、信治郎の金に対するスタンスを記述しています。

 他にも素敵なエピソード満載の本です。苦しいこともうれしいことも全て信治郎にとっての『快楽』の基準に沿ったもの。僕は凄く共感できました。バウレビ10周年のタイミングで、この本に出会えてちょうどよかったと思っています。



2007-03-01 12:00 この記事だけ表示   |  コメント 0

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