最後の後ろ姿[井原芳徳]

 12日の全日本キック後楽園大会で、小林聡選手が引退を表明した。小林選手の話を聞くためバックステージに入ると、廊下には既に人がごった返しざわざわとしていた。
 それはいつもの大会後でもよくある光景だが、空気の沈み方がいつもと違う。

 フジテレビのSRSのリポーターの西山茉希さんが、ビデオカメラを持ち、この日勝利した大輝選手に明るく元気にインタビューをしていた。皆が控室の中の小林選手の動向を気にしている中、実に空気の読めていない所作ではあったのだが、これも仕事だから仕方ないと同情する。
 すると控室から、小林選手が頭にタオルをかけて出て来て、西山さんらの横を通り過ぎて行った。顔がわからないので、小林選手だと気づかない人も多かったようだ。どこに行くのかと何人かの記者と追いかけると、シャワー室とトイレの横を通り過ぎ、医務室に向かっていった。右まぶたの傷口を縫うためだ。
 そのとき撮ったのがこの写真だ。原則として医務室にマスコミは入れない。小林聡を見たのは、今のところこの場面が最後だ。

 僕が小林選手を初めて生で見たのは、00年1月21日の後楽園ホール大会の金沢久幸選手との試合の時だった。筑波での学生時代に後楽園ホールに何度か足を運んでいたが、記者としてここに来たのはこの大会が初めてだった。97年から99年まで大阪の実家に戻り、バウレビの大阪での取材を手伝っていた僕は、00年の正月が明けるとともに上京。本格的な記者活動のスタートとして取材したのがこの大会だった。
 当時はキックボクサーのことをほどんど知らなかったせいもあり、試合のことは何も覚えていない。ただ、大会の直前に主催者控室で行われた、魔裟斗選手の突然の試合放棄に関する緊急会見が、(当時の僕にしてみれば)なぜだかわからないが異様にピリピリムードだったこと、3回戦のリングサイドで撮影の練習を急にやらされ、どこかのジムの会長らしき人に邪魔者扱いされたこと、大会後にバウレビの他の記者と食事に行き、感想を聞かれ「面白かったです」とありきたりな返答をすると、井田編集長から「どこが面白かったか具体的に言える癖をつけるように」と叱られたこととか、周辺の細かいことばかりが記憶に残っている。

 その後6年間、小林選手は37試合を戦った。そのうちどれほどの試合を生で見たかは定かではないが、おそらく僕が一番多く試合を見たキックボクサーは、小林選手か武田幸三選手のどちらかだと思う。その見た数の分だけ、バックステージに戻る二人を追いかけた。武田選手はいつも物静かで淡々としているが、饒舌な小林選手は、喜怒哀楽のバリエーションが豊富だった。
 そして昨日の最後の試合。リング上でファンに向け引退を表明して言葉を発したが、バックステージでは何も語っていない。師匠の藤原敏男会長も、引退の意志を事前に知らされていなかったこともあり、この日は小林選手にはコメントをさせなかった。
 だが、仮にこの日、小林選手のコメントを聞けていたとしても、いったいどれほどの意義があるのだろう?と、今にしてみれば思う。もちろん、引退という考えに至った経緯や事情の細かい部分には興味はあるし、小林選手の生の声で理由を確かめたい気持ちは今でも強い。しかし小林選手のこれまでの戦いの歴史を知っていれば、小林選手がこのタイミングで引退を決意したこと自体、何ら不思議なことではなかった。小林選手が言葉で説明しても、おそらくそれは理由の再確認と補足説明の域を出ないであろう。もっとも、まだ公にされていない重大な怪我等があれば話は別だが。

 上に載せた写真の背中が、足取りが、薄汚れたサンダルが、右拳に残ったバンテージが、全てを語っているような気がする。何かは僕もうまく表現できない。記者生活6年。僕は小手先が器用になっただけで、まだ3回戦ボーイから脱せていない。



2006-11-13 23:35 この記事だけ表示
 
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